茶粥爺(ちゃげじい)ばなし

父←祖父←曽祖父←高祖父…茶粥を食べながら何代も島で暮らしてきた男たちの伝承話

茶粥のウンチク

 

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 なんでこの島の、この地域の人たちが茶粥を食べるようになったのかについて、少し大人になってからジジが教えてくれた。

 

「わしが自分で見聞きした限りでは、まず有名なのが奈良だな。「茶粥定食」なんて名付けて観光客相手に1500円もする、ばか高い御膳を出していた。和歌山の新宮ではラーメン屋の看板に、「ラーメン、茶粥」と描いてあったな。京都の料理は「始末」料理つまり節約食文化だから、「おかいさん」とかいって食べとる。えーと、それから彦根や大津でも食べていた。能登の人も食べるというし、山口も食べる人が多いらしい。つまり北陸や関西・中国圏に広がっているんだが、福井の人や大阪の人は食べたことがないという人がいたから、まだら模様だな。

「確かめてはいないが、青森や仙台でも食べると書いたものがある。でもこれは北前船航路ができてからのものだし、庶民が米を食べるようになったのが遅い地域だから、近畿やこの島のとは少し歴史が違うようだ。一番距離の近い対岸のN市なんかにはまったく見られない。おそらくこの島の場合は、京や大阪から能登半島経由でわたってきた人が持ち込んだものだろう。島の中央部は、そちら方面から人が昔から住んだ場所だ。米も採れるしな。茶畑も、そう高級なものはできないが、湿気と風が流れやすい加茂湖そばの集落に今でもあるんだ。」

 

 ジジはなかなかの物知りで、全国のいろんな場所に行ったことがあるようだが、まとまって聞いたことはない。聞かないと話さない。ここまでの茶粥の話も、私が、いろんな時に聞いた断片をつなぎ合わせたのだ。まだまだ聞いたのだが、覚えていないのが情けない。